この施設で、一生を過ごすことはできない。
探してみようか。
俯きがちになりながら、その子犬のようなクリクリとした瞳で上目使いに外を見る。
美鶴は家にいるのだろうか? 雨はあがったし、ひょっとしたらどこかで偶然、会えるかもしれない。
里奈は瞬きしながら、コクッと小さく生唾を飲み込んだ。
やっぱ、このままじゃあマズイだろ。
蔦康煕=コウは、朝日に瞳を細める。寝癖を隠すためにワックスを付けてきた髪の毛が、陽を浴びてキラキラと光る。
洗面所で鏡と向かい合っていたら、朝早くからデートかとすぐ上の姉にからかわれた。コウは六人姉弟の末っ子。上五人が女という超女系家庭で育った。当然女の方が格上。からかわれてムッとはしたが、反論しても無駄なので、無言のまま家を出てきた。
もっと伸ばしたら、寝癖なんて大して気にならなくなるのかな?
右の指で摘んでみる。
いや、無理だろう。だいたい、伸び始めたらきっとウザったくって我慢できない。
自嘲気味に笑うと、少し垂れた目尻が際立つ。一見軽薄にも見えるが、見た目ほど軽々しい男ではない。むしろ、人並み以上に真面目で誠実。純粋で一途で、時として周りが見えなくなるほど情熱的。
男性としては十分魅力的なのだが、異性にはそれほど人気はない。あまり高いとは言えない身長も無関係ではないだろうし、親の職業や環境もあまりパッとはしない。それなりの資産家だとは思うのだが、唐渓という場所では華やかさに欠けるのかもしれない。
だが、やはり何といっても一番の原因は彼女の存在だろう。公然とお付き合いをしているツバサという存在があるのだ。コウがどれほどツバサに入れ込んでいるのかも知れている。無理に割り込もうとする無謀な輩はいない。
今も、コウの頭の中はツバサで一杯。
やっぱ、あれは言い過ぎだったよなぁ。
「アイツらが心配なら、俺の話なんてどうだっていいのかよっ?」
ツバサがそんな人間だとは思っていない。自分の事をとても大事にしてくれている事もわかっている。他人には自惚れって言われるかもしれないけど、ツバサは自分の事を一番に想ってくれていると信じている。
「俺、お前を信じてる」
そう伝えたはずなのに、自分の気持ちは、ツバサには伝わっていないのだろうか?
自分と田代里奈との関係を未だに気にしている事には、コウも気付いていた。
仕方ない。
いくら気にするなと言っても、どうしても気にしてしまうものだろう。むしろ、そうやって思い悩んでくれるツバサの挙動が、不謹慎だとはわかっていながらも、実は少し嬉しかったりもした。
だからコウは、咎めようとは思わなかった。
こちらから口に出してキッパリと否定すればよかったのだろうか?
だが、わざわざこちらから口に出すと逆に言い訳をしているようにも聞こえて、誤解されて受け止められるかもしれない。そうなると、事態は余計にややこしくなる。だからコウは、ツバサの気持ちが落ち着くまではそっとしておいてやろうと思った。
俺がツバサの傍にいてやれば、きっといつかはわかってくれる。俺が一番大切に想っているのはツバサで、田代里奈の事はもはや何とも思っていないのだと。
それが、なんでこんな事に―――
右足で地面を軽く蹴る。明け方に降った雨は、すでに乾き始めている。
バスケ部の廃部を聞いたときはショックだった。
「まっ しゃねーよな」
などとあっさり受け入れてしまう部員の態度に、さすがのコウも腹が立った。だが、コウ一人がどれほど抗議をしても、どうにかなる問題ではない。もう一方的に決まってしまった事なのだ。
バスケは好きだ。自分でもバカだと思うくらい好きだ。辞めようと思った時期もあったが、結局は辞めなかった。
続けていたから、ツバサにも出会えたわけだし。
初めて出会った時の彼女の眩しさが、朝日のそれと綺麗に重なる。
本当に、朝陽を見ているような気分だった。
立ち止まり、両手を後頭部で組む。
「とにかく、このままってわけにはいかねぇよな」
コウとしては、このまま喧嘩別れなどするつもりはない。そもそも別れるつもりなどないワケだし、気持ちが冷めたわけでもないのだ。
ちゃんと話し合わなければ。
田代里奈と別れた時のような、あんな無様な経験は、もうまっぴら御免だ。
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